(地図の)赤線を辿る危うさ
投稿日 2016年01月19日
ここで言う赤線とは登山地図において歩行ルートを示すために、一般的に赤色で引かれる線のことを言います。それ以外の意味はありません。お間違えの無いように!
一般の登山では「登りたい山の地図を買ってきて、その地図にある赤線(ルート)通りに歩いてみようか 」程度で行動を起こすことがほとんどだと思います。
ただただ、赤線を辿るだけの登山を続けること。それは実に危ういのです。
市販の地図やガイドブックを見ると区間区間の所要時間は大体わかり、適所に山小屋が示され、危険個所があっても通過できるようにクサリやロープ、梯子などがあると書いてあります。現場には道標なども要所要所に立っています。
登山者に課せられるのは目的地までのルート選択と所要時間内に歩き通す体力、天候の見極めだけです。登山者の脳裏では、道は分かりやすく目的地まで続いているのです。
多くの登山者は現在位置を確認することなく歩き、現われた道標に従って曲がり、時刻と残りの所要時間を計算して歩くスピードを調整する。と、まぁこんな感じです。
山頂の会話に聞き耳を立てると、さすがに富士は間違いませんが、180度も違う方向を指して、あそこに何々山が見えていると言っているのを聞くと、桂三枝(文枝)のように椅子から転げてしまいそうになります。方向感覚を鍛えていない。いや使っていない証拠です。このような人は山頂からの下山方向を間違え、まったく違う方向に降りてしまうのです。
特におろそかにされがちなのは「現在位置の確認」です。ものの本によれば地図と方位磁石を使って、今居る場所を特定できると書いてありますが、実際にはほとんどできません。よほど見渡しのよいところで、見える山などの特徴がはっきりしている場所ならまだしも、ちょっと隣の山が見える程度の樹林の中などではほとんど無理です。もし運よく見晴らしのよい場所であっても、目印になる山がそこからどのように見えるかの知識もありません。分岐点で左に行くべきか右に行くべきか程度の判断には使えますが、道に迷ってからでは役に立たないのです。「あそこから何分歩いたから、今この辺に居るはずだ」程度が関の山です。ほとんどの人は方向感覚もいい加減で、ほぼ100%はっきりした道と道標が頼り。
それでも中高年を含め、登山経験の少ない人たちでもほとんど問題なく登山が楽しめるのは、日本の登山道の整備のよさによるものでしょう。ところが、とてもよく整備された北アルプスや八ヶ岳を難なく登れる人でも、登山道や道標が整備されていない里山などの低山に入ると、あっという間に迷ってしまうのです。それらの山では地図に書いていないことが起こり、道は入り乱れている。そういう状況に遭遇するとすぐパニックになるのです。
もっとひどいのは団体登山です。山頂に立つまでどこの何という山に登るのかさえ知らずについてゆくのです。ただただ前の人についていくだけです。説明しないリーダーもリーダーですが。このような他力本願な人は、ひとたび迷うと大変なことになります。
地図も間違っていることがある。
道標は朽ちていることがある。
前の人も道を間違えることがある。間違いを教えられる可能性もある。
一人ぼっちになる可能性もある。
地図の所要時間通りに歩けるとは限らない。
天気の急変や身体の状態などで予定のルートを歩けないこともある。
地図の赤線を辿れば日本のほとんどの山に登ることができます。しかし、それはたまたまであって、条件が揃い幸運であったと思うべきなのです。登山は安全が保証されたレジャーなどではありません。自分の足で歩き通すことはもちろん、遭遇するかもしれない危険や、事態に自分で対処できるように備えてからでないと本来山に入ってはいけないのです。
以前、若い人と山に登る機会があり、末永く山を好きになってもらうために、「分厚い小説を1ページずつ読み進むように、山に登ってほしい。」と話しておきました。山はそういうものだと思っています。私もまだその小説は読みきっていません。いや一生かけても読みきれないのかも知れませんが。
何もかも用意された状態から山を始めるひとへの警鐘です。
(熊五郎)