うるんだ瞳 名峰が見ていたロマンス
飛島からの鳥海山 朝焼けのシルエット
若い頃、私は東北の名峰に登った。
切手にもデザインされているその名峰の姿は、日本海のある島から眺めたもので、以前から気になっていた。
ある年の10月中旬、紅葉のすばらしいその名峰に登った後、私は山姿のまま港のフェリー乗り場に向かった。
海は大きくうねり、船に慣れない私は、同乗の人たちと話すこともできずに青ざめていた。近づく島の小さな港にはウミネコが舞っていた。
民宿に入り、重いカメラとともに荷を降ろして夕飯を待った。
さまざまな漁具があった。漁師の家だが、民宿もやっているようだ。
夕飯に案内されたのは、なんとその家の居間。そこに入っていいのか一瞬躊躇した。
大きな仏壇があった。広いが炬燵を中心に様々なものが置かれていた。
客は私ひとり。おばあちゃん、ご主人、奥さん、娘さん。ご家族とともにひとときを楽しんだ。
娘さんは中学生だったろう。そこでは終始うつむいて、話すことはなかったが、後で、山姿なのになぜここに?という顔で「この時季にお客さんは珍しいわ」と言い、私に東京のことをいろいろ聞くのだった。
私には珍しいという意味がわからなかった。
翌朝、まだ布団の中だった私に、急いで外に出るように奥さんが叫んでいる。こんな日はめずらしいというのだ。
私はカメラを持って急いで外に出た。
そこには私の見たかった名峰があった。
帰りの船の時間になった。フェリー乗り場の人が、「この時季は3日に1回は欠航するんだよ。きょうは船が出せるのでよかった」という。海が荒れることが多く欠航はあたりまえらしいのだ。娘さんの言ったことがようやく分かった気がした。
船はなめらかに離岸した。
ほっと胸をなでおろしながらも、少しなごり惜しい気持ちで、私は離れていくウミネコの舞う港を見つめていた。
やがて私の視野に入ってきた防波堤の先端に、彼女はたたずみ、瞳をうるませていたのだった。
......
大貫妙子の「黒のクレール」でも聴いてみようか。
(熊五郎)
コメント(2)
- 熊五郎さん 素敵なロマンティストですね。 (agewisdom) 2017/11/23(木) 午後 1:28
- > agewisdomさん 若い頃の旅はいろんなロマンスを生みますね。(熊五郎) 2017/11/23(木) 午後 3:00