上州古道から四阿山
2023年06月25日 晴れときどき曇り 3名
投稿日 2023年06月27日
はるか昔、冬季に登った四阿山(あずまややま)。私の記憶にはモノクロームの四阿山しかなかった。しかも覚えているのは車中での寒い寒い仮眠、ひたすらの林道歩き。そして的岩。それが今回6月の緑濃い四阿山に登って、ようやく色が付いた。ところどころを彩っていたレンゲツツジも色を添えた。
四阿山は百名山のひとつだ。山頂には祠(今は木造の社)がふたつあって、西の方を信州祠。東の方を上州祠というらしい。いずれも北側に風よけの石が組んである。よく見ると東側の社の前の木札には「参拝者には麓の本社で参拝証明を出す 山家神社」というようなことが書いてある。山家(が)神社は信州側麓の上田市真田町長(おさ)にある古社である。四阿山をご神体とするので、奥宮として祭られているのだろう。
一方の東の方の社はやや小さいが、その近くに「吾妻(四阿)山山頂 群馬県嬬恋村」と書かれた標柱が建っている。どうやら上州祠のようだが、どこの神社のものかわからない。吾妻(四阿)山という記載は、上州(群馬県)側からの呼称は「吾妻山」であるが、信州(長野県)側からの呼称は「四阿山」というので、そう記載したのだろう。見る側によって呼称が変わるのはよくあることだ。ただ、「四阿山」のほうが名が通っているようだが。(日本百名山では四阿山となっているが、吾妻山ともいうと解説している)
そういうわけで四阿山は上州の山でもあり、信州の山でもある。実際、地図を見ると、群馬と長野の県境がこの山を二分しており、流れ落ちる沢水は東には利根川で太平洋へ。西には千曲川から信濃川となって日本海にそそぐ。正に分水嶺の山である。
今回の登路は「鳥居峠」から少し砂利の林道を奥に入ったところにある林道終点のロータリーからにした。ここからの道は「上州古道」というようで、古文書には道標代わりに石祠を置いたとあるらしい。実際、登山道には点々と石祠が置かれている。途中には「花童子(げどうじ)の宮跡」というのがあって、見晴らしの良い斜面に小平地があり、石祠や壊れた石灯篭などもあり、往時がしのばれる。
山頂までの道に危険な場所は無く、効率的に付けられた道で疲労は最小限で済む。ところどころにレンゲツツジの花が鮮やかな緋色で咲いていて和む。イワカガミなどの高山植物も足元を飾る。菅平の道を合わせればそこはもう外輪山の一角で山頂はすぐ。社のところが最高点であるが、東側に少し下ったところに二等三角点 点名「吾妻山」があり、にぎわう山頂をよそ眼に、石標が登山道の脇にひっそり埋め込まれている。
三角点と言えばすぐ隣の「根子岳」(四阿山外輪山のピークのひとつ)には一等三角点 点名「猫岳」がある。これらの三角点はいずれも最高点ではなく、少し低い点に置かれている。二等三角点の「吾妻山」は最高点より20mほど低いし、一等三角点の「猫岳」は根子岳ではなく、その近くの小根子岳にあって、80mほど低い。三角点というのは最高点に置かれるとは限らないので問題はないが、それよりこれらの二等三角点と一等三角点の直線距離はたったの2.4km。なんとも近いのは不思議だ。
群馬県吾妻郡嬬恋村 鳥居峠奥林道終点から上州古道で四阿山
鳥居峠から砂利林道終点駐車スパースへ
上州古道で花童子宮跡経由で山頂へ
下山は的岩経由で駐車スピースへ
赤実線:歩行GPS軌跡
(国土地理院電子国土地図に情報追加)
主な通過時刻:
砂利林道終点駐車スパース 8:05
花童子宮跡 8:56
古永井分岐 9:48
水場分岐 10:53
四阿山山頂 11:23
三角点「吾妻山」11:29 (昼食)
古永井分岐 13:12
的岩 13:43
砂利林道終点駐車スパース 14:15
所要時間:6時間10分
総歩行距離:8.5km
鳥居峠から砂利の林道に入り最奥のロータリーに駐車
20台くらい停められるか
簡易トイレがある
的岩方面と、花童子宮跡方面の道が分かれる
上の古永井分岐で合流する
花童子宮跡に向けて登る
カラマツの植林帯から始まるが上は自然林
ホトトギスの声が朝の樹林に響き渡る
花童子宮跡
石祠や壊れた石灯篭が点在
小平地に建物があったのだろうか
古永井分岐
東屋があり雨をしのげる
古永井分岐の先の鞍部
前方のピークへののぼりがこのルートで最も急
ツガの間から眺める四阿山山頂部
にぎわう四阿山山頂
東の上州祠
二等三角点「吾妻山」2333.2m
山頂から少し東側に下ったところ
三角点の位置から山頂を振り返る
下山途中
見えているのは古中井分岐のピーク
左は登って来た花童子宮跡のルート
右に下れば的岩
的岩
亀裂に貫入した溶岩が露出したもの
200mほどの長さだが、幅は数mの帯状
(雅熊)