奥利根 楢俣川 狩小屋沢の遡行

1984年(昭和59年) 9月22-24日 2名

投稿日 2010年09月03日

​洞元の滝 - 狩小屋沢手前の林道終点(泊) - 狩小屋沢遡行 - 至仏山 - 笠ヶ岳 - 片藤沼(泊) - 湯の小屋温泉 - 洞元の滝(露天風呂)

昭和59年はまだ「奈良俣ダム」が着工して間もないころであった。このため「ならまた湖」はまだ存在していない。

夕立の雨の中、洞元の滝から楢俣川への林道に入ると、建設中のダムの管理小屋があった。挨拶に行くと、工事中は林道が通行止めとのこと。管理用の車なら入れるということで、親切にも林道を奥まで乗せてくれた。

車を降りて約1.5時間で林道終点に着く。夕立で日の暮れるのも早い。狩小屋沢(かりごやさわ)出合いでテン泊の予定であったが、林道終点でテントを張り野営する。

翌朝、林道終点から踏み跡程度の径を辿り、朽ちた道標にかすかに「狩小屋沢」と読めるのを確認。

狩小屋と、遡行図にあるケルンを探したが見当たらなかったため、適当に沢床に降り立った。

国土地理院 5万分の1地図 「藤原」の一部 昭和55年発行
まだ奈良俣ダムは完成しておらず、ならまた湖もまだ存在してない

狩小屋沢という名は、その名の示すとおり、ここに狩小屋があったからだと思うが、

この沢には昔、至仏山(しぶつさん)への登路があったと聞く。

至仏山から尾瀬に入り、新潟に抜ける道として使われたのであろうかと想像する。

藤原の人が徒歩で新潟に抜けるには、鳩待峠はちょっと遠いが、楢俣川沿いに入って、狩小屋沢を登って尾瀬に入いるとはるかに近い。    

遡行図 白水社 日本登山大系 「谷川岳・奥利根」より

この沢は全体的にごろごろと大きな岩で構成されており、トロはほとんど無い。

沢床に下りて、しばらくはゴーロ状だが、やがてナメ状の小滝が現れる。

二俣の手前で至仏山の山頂付近が見える。

二俣は水量が1.5:1で、水量の多い左が本流。二俣の上が小さいゴルジュとなり、この沢で一番面白い。

狩小屋沢中間部の様子

ゴルジュの上で森林限界となり、ツツジ系の紅葉と這い松の緑の対比が美しい。

全体的に滝は水線に沿って直登可能である。滝壷は水面下にスタンスを求め、落ち口に回ってわざと水流の中を登った。

大滝は、細い流れで落ちており登れそうだが、完全にシャワークライミングになるので右を高巻いた。

狩小屋沢源頭部から山頂付近を見上げる

水流が一度消えて、ビバークできそうなテラスがあり、稜線が近づく。

この付近は地元の山岳会が登路を整備していたころの黄色のペンキが残っており、目印となる。

山頂はすぐそこに見えるが、なかなか辿り着かない。2泊の装備で沢登りはちょっときつい。

至仏山稜線より狩小屋沢源頭部を見下ろす

狩小屋沢の源頭部は、這い松の緑とツツジの赤や、その他黄色の黄葉で美しいところだが、蛇紋岩であろうか、大きな岩がごろごろしており、男性的な様相を呈している。

尾瀬ヶ原から見た東面の至仏山は女性的だが、この西面は荒々しい。

ひとつの山でも、一般道だけ登っていたのでは味わえない光景がそこにある。

至仏山から 尾瀬ヶ原と燧ケ岳(ひうちがたけ)

至仏山山頂(2228m)に寄って、小至仏、小笠、笠ヶ岳(2057m)、片藤沼と辿る。

片藤沼畔には平らなところがあり、暮れ行く燧ケ岳を眺めながら、夕暮れの山を楽しんだ。

片藤沼の水を利用した。

笠ヶ岳より 片藤沼

翌、神秘的な朝を向え、湯の小屋方面に下山した。

咲倉沢の源頭付近にコンクリート製で5人くらい泊まれる避難小屋があった。

片藤沼から湯の小屋までは長い尾根道だが、途中3箇所水場があった。

湯の小屋に降り立って、洞源の滝にもどり、旅館の露天風呂に入って汗を流した。

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古い記録なので、現状は変わっていると思います。新しいデータを入手して入山してください。

(熊五郎)

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