剱岳「点の記」再び
投稿日 2010年01月09日
NHKハイビジョンで放送(2010/01/09 20:10-21:40)された剱岳測量物語 -明治40年「点の記」-
を見ました。
明治40年の柴崎芳太郎氏による三角測量の記録を、
富山の国土地理院測量部のOBと山岳ガイドによって、
実際に標石ややぐらの丸太を山頂まで担ぎ上げてみようという試みです。
柴崎測量隊は、剱岳(2998m)に登る前に、24箇所もの三角点を設置し、測量
そのそれぞれに、63kgもの標石と4mの丸太3本を担ぎ上げたのですから、、
その苦労たるや察するに余りあるように思います。
柴崎測量隊は、最後に剱岳の三角点設置に挑戦しますが、
まず早月尾根からの登頂を試み敗退。
つぎに別山から、前剱、カニの縦這のルートを試みるが、これも敗退。
ここで冷静に、剱の膝元にある倉ノ助(一)(今の北峰 2284m)に三角点設置を兼ねて登り、
そこからの眺めによって、今の長次郎谷が山頂直下まで雪渓が続いていることを見極め、
最後の登頂ルートとして採用します。
柴崎芳太郎氏の冷静さがうかがえます。
ただし雪渓があまりにも急峻で標石の埋設はできず、
やぐらの代わりに一本の丸太を立てた簡易なものでした。
ところで、当時の測量結果は、剱岳山頂を2998.02mと測定しています。
現在GPSによって正確な測量が可能ですが、その結果は2998.42m。
明治40年の測量と比べると、たった40cmしか差がありません。
これは当時の測量技術からすると誤差範囲とのこと。
柴崎測量隊の仕事の正確さがわかります。
現在、剱岳周辺には、今も柴崎測量隊が埋設した標石が残っており、測量に役立っています。
柴崎測量隊ができなかった剱岳山頂の標石埋設は、その100年後の平成16年にやっと実現しています。
(熊五郎)
コメント(4)
- ほとんど正確に測量しているんですね。これってあのサイン、コサインタンジェントのせかいですか?どうやって測量したのでしょう。全く無知ですみません。 2010/1/9(土) 午後 11:42
- agewisdomさん、明治時代の測量といっても、かなり正確だったようです。三角測量は正弦定理を用いたもので、三角形の一辺の距離と、その両点と測定点との角度が分かると、測定点の位置を確定できるというものです。簡素な測定方法ですが、精度は高いようです。今はGPSがありますが、これは非常に精度の高い時計があるおかげです。(熊五郎) 2010/1/10(日) 午前 0:49
- 映画「剣」は私も家内と見に行きました。山に全く興味の無い家内は途中から居眠りしてましたが・・・感動ものでしたよね!今日、町田にあるクランベリー・モールにある、mont・bellというスポーツ用品店に行ってきました。冬山の装具が古くなったので、最近の道具の価格調査です。偶然写真展をやっていたのでフラリと覗いてみました。丹葉暁弥(たんばあきや)氏の展でした。氏の写真は初めて拝見しましたが、カナダを拠点に大自然の写真を撮っているようです。カナダの森林の中の朽ちた大木や、今にも樹の香りがしてきそうな、森の「精霊」が現れそうな素晴らしい写真群でした。じっくりと眺めてから、「あ~早く、山の霊気に包まれたい!」と思ってしまいました。熊五郎氏もオベリスクの直下で野営して、違う「霊]に取り付かれなくて良かったですね。 [ 朝刊太郎 ] 2010/1/17(日) 午後 7:33
- Louisganoさん、「山の霊気に包まれたい」という気持ちはよくわかります。鑑賞された写真は日本でいうと「北八ヶ岳」のようなところでしょうか。苔むした樹林、湖面を渡る風、木漏れ日と青い空、天国のようなお花畑、森の奥から聞こえてくる鳥のさえずり、渓谷のせせらぎの音、山小屋の煙突の煙・・・ 想像しても楽しいですね。(熊五郎) 2010/1/17(日) 午後 10:10