石仏が置かれて187年

投稿日 2016年05月25日

志賀坂峠に近い道の傍らにある馬頭観音
道の先は志賀坂峠

先日登った山で石仏を見つけた。

今でも登山道わきに多くみられる石仏だが、それが置かれているということは、昔からその道に往来があったことを示している。

様々な石仏に遭遇するが、その中でも多いのが「馬頭観音」だ。

おそらく馬を伴っての往来があった証拠だろう。

石仏は峠にあることが多いが、特に定まっているわけではなさそうだ。山深く、何の人工物もない山の中で、ぽつんと鎮座する石仏に出会うと、なにか安心感があるものだ。

馬頭観音はさまざまあるが

この馬頭観音は頭の上に馬の顔があるのでわかりやすい

ほとんどは穏やかな表情で、愛らしお顔のものが多い

文政十二年に置かれたようだ

ここを往来する人たちや、働く馬を見守って来たのだろう

今残っているものの多くは、古くても250年前から300年前くらいだが、文化、文政、天保のころが最も多いだろうか。つまり200年前くらいの江戸時代後期である。

写真の石仏は、馬頭観音だ。なぜわかるかというと、額をじっくり見ていただきたい。馬の顔が浮き彫りになっている。これはわかりやすい馬頭観音だ。

山で見かける馬頭観音はかわいらしいものが多く、それぞれ特徴があって面白い。まったく同じものは見たことが無い。

たまに大きいものや、字で「馬頭観音」と刻まれているものもある。しかも街中や里にも普通に在る。

この馬頭観音は、文政十二年と刻まれているので、西暦1829年。187年前のもののようだ。場所は埼玉と群馬の県境。最奥の山里どうしを結ぶ峠道の途中に置かれていた。おそらく馬で荷を運んでいたのだろう。

文政十二年近辺をネットで調べると、

シーボルト事件(シーボルトが伊能忠敬の地図を持ち出そうとした)1828年

勝海舟が6歳

葛飾北斎の富嶽三十六景完成

江戸の大火

など。

(熊五郎)​

 

コメント(2)

  • まあずいぶん古くからそこにあって行き来する馬とそのの荷の安全を見守っていてくださったのでしょうか。不思議な気持ちになりますね。 2016/5/25(水) 午後 8:58
  • > agewisdomさん 馬頭観音はインドの古い仏が起源のようで、本来は怖いお顔なのだそうです。それが大衆信仰化されて、おだやかなお顔のものが多く作られたようでです。かわいい馬頭観音は、これまでの記事でもいくつか取り上げました。(熊五郎) 2016/5/26(木) 午前 6:44

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