切手の図案を改めて見てみると
投稿日 2014年10月09日
私が小学5,6年から中学にかけての頃、切手収集が流行っていたように思う。
私も子供ながらそのひとりだった。
実家の隣が雑貨屋で、切手も扱っていたので、おばさんに新発行の切手をとっておいてもらった。
もちろん子供だから1枚ずつしか買えない。
大人がシートで買っていくのを見て羨ましく思ったものだ。
私の場合は後で売ろうなんて気はさらさらない。一枚一枚きれいな図案を見て楽しんでいた。
兄も集めていたが、ある日いっぺんに売り払ってしまい、半端な切手を私に譲ってくれた。
今も残っている切手の大半は兄から譲り受けたものだが、私が最も大事にしている切手がある。
それは国立公園の切手
第二次国立公園シリーズの一部
日光国立公園(4枚組の2枚) 1962.9.1発行
白山国立公園 1963.3.1発行
日光国立公園4枚組のあと2枚に尾瀬が含まれるが、
尾瀬はのちに尾瀬国立公園として分割された
第二次国立公園シリーズの一色の濃淡刷りの切手に魅力を感じた。
しかもこれらの切手はちょうど私が幼稚園から中学生のころに発行されている。
そこに描かれているのは、山岳が多い。
有名な白旗史郎のような山岳写真家が写した写真を図案にした切手もある。
子供のころは気に入ってはいたが、どこから見たどこの山かなどは全く知る由もなかった。
今、山に登るようになって改めて切手の図案を見てみると、見慣れた風景や、撮影された場所さえもわかるものが多く楽しめる。
切手の図案を見ていた子供の頃の自分と、今の自分が交差して、妙な感覚になる。
ところで、子供のころ傍にあったものが、大人になっても残っているのは、そう多くない。
愛用の自転車はとっくの昔に壊れた。
小学校の教科書やノートなどは親にすべて捨てられてしまった。(これが普通)
愛犬は人間より寿命が短い。
中学の時に文通していた彼女の手紙は、燃してしまった。
プラモデルも掃除の母のハタキが壊してしまった。
中学生の時に作った多くのラジオは1台が残っているが、お金がなかったので部品を流用するためほとんど分解した。
考えたら、今あるのはほとんど社会人になってからのものだ。
そんな中で、私の場合、この切手が集めていた頃の自分に戻れる貴重なもののひとつだ。
(熊五郎)
- 思い出の品ですね。写真ぐらいしか残っていないかなあ。ボロボロになったガリ版刷りの藁半紙の文集が1冊残っていましたっけ。ちゃんとまたしまい込んだからあるはずです。 2014/10/9(木) 午後 10:01
- そうですね。写真くらいです。なかなか物で残っているものはありませんね。写真をよく見ると、遊んでいたおもちゃなど懐かしい物が写っていたりしますが。(熊五郎) 2014/10/9(木) 午後 11:00