若くして山を始める意義
投稿日 2009年12月06日
大そうなタイトルにしてしまいました。
山なんていつ始めてもいいじゃないかと、お叱りを受けそうです。
しかし、若くして山を始める意義は、はっきりあると思っています。
少なくとも主体的に山に登ってくれば。
・・・
その最も大きいものは、
「人生に山の余韻が積み重なる」という説明しにくい感覚です。
山での体験は、強烈に身体に沁みこみ、その後の人生に、じわじわと湧き出てきます。
若ければ若いほど、多くが。
羽越本線こばと駅(小波渡駅)にて 朝日連峰の帰り
この駅舎は今は無い。
自然の優しさや、脅威を知った山
自分の身体と知恵で歩き通した山
命がけだったあの時
無言で前を登る友の姿
山で出合った人の心
・・・
若くして山を始めた人は、今も山をやっていることでしょう。
山に惹かれるがままに...
(熊五郎)
コメント(2)
- 私には無縁の人生だけれど、いいなあって思います。自己主張のある体験を積み重ねて行っているということ。そして、受身でないのに、受身であることの大切さも知っているのではないかと。のんべんだらりと生きてきたので自然との厳しい対峙などしたことはないだけに一種の憧憬を感じます。 2009/12/7(月) 午後 8:39
- agewisdomさん、今日は北風で寒くなりました。お風邪を引かないようにしてください。人の手のかかっていないものに身を置くことも、人生には必要なことと思っています。これだけ科学が発達した世の中にあっては恐れるものではないけれど、自然に対する憧れは常にもっていたいものです。私は温かいagewisdomさんとそのご家族にも憧れますが.... 2009/12/7(月) 午後 9:04