後悔先に立たず 諏訪の姫のロマンス
3月の甲斐駒ヶ岳
私は入社して間もない二十代前半の頃、某カメラ会社に出向を命じられ、真冬の十二月からニ月の三ヶ月間、極寒の諏訪に居た。収めたシステムのプログラムのバグ(誤り箇所)取りであった。
下諏訪駅に近い諏訪大社の目の前に宿をとり、毎日バスで仕事場に通った。諏訪大社の前は傾斜のある石畳で、凍りついた路面が私を容赦なく転倒させた。ある日転倒した際に思わずアタッシュケースを手放してしまったら、スルスルスルと路面を滑ってはるか下に落ちていった。
そんな極寒での仕事でも楽しみはあった。仕事場の窓から真っ白な赤岳が顔を出しているのが見えたのである。いや、今考えたら赤岳ではなく阿弥陀岳だったのかも知れないが、とにかく真っ白な頂が少し見えていたのだ。それを眺めながら仕事をした。
仕事の進捗は思わしくなかったが、毎日定時で宿に戻ることができた。進捗の報告と交通費などの清算をしに二週間に一度は東京の本社に顔を出したが、宿の旅館を変えることはなかった。しかし二週間もすれば夕食メニューは一巡するし、同じ温泉風呂に入っているのも能の無い話だった。
宿を変えなかったのには理由があった。極寒で慣れない土地だから、通勤ルートを変えたら何が起こるかも知れない。第一面倒くさいということもあったが、それ以外に気になることがあったのだ。
長く泊まっていると宿の事情や人の様子も分かってくるものである。泊まり始めて数日経った頃からだろうか、たぶん自分よりニ、三歳上だと見える若い女性が、私の世話をしてくれるようになった。清楚な女性だった。
布団を敷いてくれたり、朝早くの出勤時に見送ってくれたり、そのうち部屋でひとりで夕食をとっていたら、横にちょこんと座ってご飯のお代わりを待っていてくれたりもした。私はただただ恐縮して、ちぢこまっていたように思う。ある日、仕事から帰った私に何か差し出すので受け取ったら、それは厚手の靴下であった。しかしその女性と話をした記憶は無い。
ある日、本社から上司がやって来た。思わしくない進捗を客先と調整するためである。その夜だけは上司と二人で泊まることになった。夕飯を終えてしばらくすると、上司がちょっと遊びに行こうと言う。
「これからですか?」
近くにいいとこを知ってるから行こうという。
玄関で奥を覗くと例の彼女がコタツに入っていた。私が「ちょっと出かけてきます。」と言うが早いか、上司が「すぐそこでちょっと遊んで来るね。」と言ってしまったのだ。彼女はけげんな顔で「はい」と返事したが、その視線は私に向けられていた。
外に出ると吐く息がもうもうと湯気に変わる。少し先の角を曲がって路地に入ると小さいが目立つ電光看板があった。ドアをギーィと開けると、バーテンダーの男性ひとりと、女性がふたり。客は居なかった。我々は案内されたふかぶかとしたソファーに座ると、すかさずそれぞれの横に女性が座った。予想はしていたものの、初めての展開に、自分だけがどぎまぎしていた。
宿に戻ったのは十時頃だっただろうか。奥にはまだ彼女がコタツに入っていた。我々を見てニコリともせず、「お風呂で温まってください。」と一言。私は申し訳ないことをしたのかなと、もらった靴下を見て感じていた。
翌朝、上司が帰るといつものように仕事が続いた。相変わらず彼女が見送ってくれた。ある日、今年は諏訪湖に御神渡りが出たので、見てきたらどうかと言う。飲めないお酒を大人ぶって頼んでみたりもした。もちろんお酌をしてくれた。聞けばお酒の銘柄は「真澄」だそうだ。
とうとう帰還する日が来た。どうしてかその日は彼女が居なかった。最後の清算を済ませて下諏訪駅から特急「あずさ」に乗り東京に向かった。車窓に白い甲斐駒ケ岳が流れていった。彼女に一言の礼も言わず出てきた事を悔いつつ、あのような女性を妻にしたいと思った。
大貫妙子の「彼と彼女のソネット」でも聴いてみるか。
(熊五郎)