私を慰めてくれた歌 極寒のロマンス

投稿日 2017年11月25日

弘法小屋尾根の野営ポイントからの北岳

若い頃の正月は、毎年雪の上が恒例であった。

28日ごろに山に入り、4日ごろに降りてくるのである。

その年の正月休み。私は南アルプスに居た。

アプローチを一日かけて歩いてやっと麓に辿りつける。

麓で野営し、翌朝尾根に取りついても、更にもう一回尾根上で寝なければならない。

南アルプス間ノ岳(あいのだけ)に直接登る長大な弘法小屋尾根(こうぼうごやおね)は、そんな冬山のためのルートだ。

31日 大みそかの夜、我々ふたりは標高2800mを越える野営ポイントに居た。

間ノ岳の稜線にもうすぐ手が届きそうだ。

そこは樹林から抜け出して、森林限界に飛び出した小ピーク。

ここしか安全にテントを張れる場所が無いのだ。

その夜はシンシンと雪が降った。

夜中に何度も起きだして、テントの周りの雪を取り除かなければテントが潰れてしまう。

テントの中は正にフリーザー。

吐いた息は即座に凍り、テントの内面に貼りついて、キラキラ輝やいている。

今夜も寒くて眠れそうにない。

いや、眠ったら、そのまま。

そんな気持ちになってくる。

横で友が寝息を立てているが、ほんとうに寝ているのだろうか。

寝付けないままに、ラジオをつけた。紅白歌合戦をやっている。

下ではみんな炬燵に入って観戦しているのだろう。

いろいろなことが頭の中をめぐる。

今頃、母は何をしているのだろう。おせち作りの真っ最中か。黙って出てきたことが申し訳なく思えてきた。

明日、雪崩は大丈夫だろうか....

とっくに、紅白も、ゆく年くる年も終わった。

そのとき、ウトウトしていた私の耳に、深いフェージングとともに倍賞千恵子が歌う「さくら貝の歌」が流れてきた。

うるわしき、さくら貝ひとつ

去りゆける君にささげん

この貝は去年(こぞ)の浜辺に

われひとり 拾いし貝よ

ほのぼのと うす紅染むるは

わが燃ゆる さみし血潮よ

はろばろと かよう香りは

君恋うる 胸のさざなみ

ああ なれど わが思いははかなく

うつし世の なぎさに果てぬ

....

倍賞千恵子の透き通った歌声は、ほとんど消えたかと思うと、波の高まりのように割れるほどスピーカーを鳴らす。

遠い放送局の電波が、電離層で反射して、大きなうねりのように届いているのだ。

それが、また、いやおうなしに、高所に居ることを証明しているのだった。

.......

ひさしぶりに倍賞千恵子の声が聴きたくなった。

(熊五郎)

コメント(2)

  • この歌大好きです、そして、なぜか若くして亡くなった叔母が歌っていた、浜辺の歌につながり、暖かかった叔母の膝の上の温もりに繋がります。 (agewisdom) 2017/11/25(土) 午後 3:20
  • > agewisdomさん 曲と場面の繋がりは、けっこう記憶に残るようです。若い頃はしっかりいろいろな曲を聴いて、音楽のある生活をした方がいいですよね。私はクラシックのある曲を聴くと初恋の頃を思い出します。(熊五郎) 2017/11/25(土) 午後 4:08

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA