登山のセンス:山に何も期待してはいけない

投稿日 2024年06月16日

加賀白山(別山付近から)

以下は、過去の投稿(山のエッセー)からの引用です。

 群馬県内のある山でのこと。
 時おり小雨の生憎の天気。山頂での展望は得られませんでした。
 下山し、車を停めた駐車場に帰り着きました。
 すでに他県ナンバーの車の傍で、帰り支度をしている数人のメンバー。
 私たちがリュックを下ろすをの見て、聞こえるように言うのです。

 「こんな山、二度と来たくないね。俺たちの県にはもっといい山がある。」

 群馬ナンバーの我々の車を見て、愚痴ってみせたのでしょう。
 何が不満でそう言ったのかは不明ですが、山屋のひとりとしてまったく情けなく思いました。
 山にどのような優劣があるのでしょうか。
 天気に何の落ち度があるのでしょうか。
 山に登るものとして、山をそのまま受け入れ、そのときの天気とともに味わうべきではないでしょうか。
 登山する者は、「山に何も期待してはいけない」と、私は思う。

こういう人は遅かれ早かれ登山をやめていくだろうなと思います。

山に優劣をつける。気象現象に文句を言う。これらは人間のわがままに過ぎません。

ところで、山に何も期待してはいけないといっても、なかなかそうもいきません。

花を見たいから登る。山頂から絶景を見たいので登る。そのような期待がはっきりしていたり、なんとなくそういう期待を胸に抱いて登ったりするものです。しかし、実際登ってみて花が咲いてなかったり、ガスが出てまったく展望がなかったりしても、それをそのまま受け入れたら、それはそれでその山を満喫したことになるのではないでしょうか。

花が無いあの山には登らない。今の季節は冬枯れの山を見るだけだから登らない。花の終わった茶色い尾瀬なんか見たくもない。あの山に登っても樹林をもくもくと登るだけなのでつまらない。アルプス級の絶景がなければ、山ではない。上から人家が見えるような低い山に興味はない。などなど。しかしそれは大きな機会損失と言えるでしょう。

山にはそれぞれに良さがあります。それは登ってみなければわかりません。登山は山そのものを味わう楽しみです。あえて言うならば、登っている人に順位や勝ち負けはないのでスポーツではないと思います。その人なりに山を感じ、山を味わうことが登山なのです。ただ山頂の展望だけを期待して登るのではなく、危険なピークに立って優越感を得て満足するだけではなく、山そのものを愛して、その懐に入らせてもらう。それが登山ではないかと思います。

(雅熊)

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