登山のセンス:山を感じながら歩く
若い頃、冬の南アルプスに入るために乗ったタクシーの運転手が、
「たいへんなのに、なんで山に登るずら?」(方便は忘れました)
と聞かれたことがあります。
突然の問で戸惑いましたが「そこに山があるから」と応えるのも芸がない。ちょっと考えて、
「そりゃぁ、楽しいからですよ!」
と応えました。
何を楽しいと感じるかは人それぞれ。しんどい思いをして山に登るなんて、何が面白いのかと思う人がほとんどでしょう。おそらくそのタクシーの運転手にとっては、何の応えにもなっていなかったと思います。
登山をする人生になるかならないかは、その人に巡ってくるきっかけが有るか無いかではないかと思います。ある日友達に誘われて登ったことがきっかけになったり、車で来た山に、今度は歩いて登ってみようと思ったり、本の紹介がきっかけであったりと、さまざまでしょう。しんどかったけど、山頂の眺めがよかったから、またどこかの山に登りたいと思うか、もう二度と行きたくないと思うかは紙一重です。
とにかく、どんなきっかけであるにせよ、その時山で受けた印象がよければその後の登山につながるものです。しかし、誘われたら登る程度、つまり嫌いじゃないレベルと、自主的に計画を立てていろいろな山にトライするという、好きで登るというレベルがあるのも事実です。
登山をして山の何を好きになるのか。それは人それぞれですが、山で受ける刺激や、山で得られる感覚にはさまざまなものがあります。その中には「熊に遭遇する」「怪我をする」などの、あってほしくない事もありますが、そのほとんどは人間にとってよい刺激、よい感覚です。
たとえば、登っていればさわやかな風が吹きわたり、鳥のさえずりが聴こえ、足元には様々な花が咲きキノコが出ている。沢の流れは清らかで、リスやアナグマ、鹿、カモシカなどにも出会う。山頂では手の届くような雲に、眺めは素晴らしく、出会った人たちと山の話をしてひと時を過ごす。
前の投稿で書きましたが、それらは別に期待したものではなく、偶然に山で出会ったもの。期待せずとも山本来の姿であり、山に入った者が自然に得られるものでしょう。山は、ただただそれらを身体で感じながら歩く。登山とはそれらを受け入れながら歩くものだと言えるでしょう。
もちろん判断を誤れば危険と遭遇するのも山です。そこは、やはり楽しい事ばかりではありませんから、なんでもそうですが事前の準備は大事です。
疲れただけだった。危ない事ばかりだったでは面白くありません。十分準備して、その山から得られるものを素直に受け取って帰ってくる。そして家で山で受けた刺激や感覚を思い出して、もう一度味わう。その中身が山の楽しさと思います。
(雅熊)