朽ちた道標の判読
投稿日 2016年11月10日
今は使われなくなった志賀坂峠から二子山に至る群馬と埼玉の県界尾根の道には、いくつかの古い道標があります。鉄板製の道標は遠に赤錆びてまったく読めませんが、木で作られた道標は今でもその役目を全うするかのごとくかろうじて読めそうな字をのせて、今も残っているものもあります。
県界尾根のピークにあった朽ちた道標
地面に転がっていたので、
あと数年もしないうちにバラバラになって消えてしまうだろう
ただし、割れていたり、腐っていたり、字が消えかかっていたりで、それらを頼りに歩く訳にはいきませんが、使われなくなった道の往時を忍ぶための刺激にはなります。
今回はそんな朽ちた道標のひとつを取り上げ、判読を試みました。
朽ちた道標があった場所
写真の道標は、志賀坂峠から二子山に至る県界尾根のジャンクションピーク(地図参照)で見つけたものです。写真のように地面に転がっていました。どこかの木に掛けられていたものでしょう。
その場所は樹林であまり陽が差し込まない暗い場所です。写真は適当に撮ったのであまりうまく撮れていません。暗いのでストロボが光って、字の一部がテカッって見えにくくなっています。そこでまず見えやすいように加工しました。
画像処理で字の部分を読みやすくしてみた
書かれている文字は旧字体ではないのですが、少し簡略化した字体のバリエーションと思われます。
同じ人が同じ時期に作ったと思われる道標は、この道標のあった地域の何カ所かに掛けられていたようです。そのひとつ、両神山の八丁峠の赤岩P1寄りにあった道標が下の写真です。
佐藤 節著「西上州の山と峠」より
両神山八丁峠の赤岩P1寄りの道標
昭和50年当時
前の横長の道標二つは字体などからかなり考えて作られているように思う
同じ場所の現在の道標(2015年撮影)
昭和50年当時の写真の一番下の道標が半分無くなっているが残っている
白いペンキは禿げやすく、黒は残りやすいのが分かる
まず字体、書き癖の確認ですが、
写真のようにやや縦方向に長めの字で書かれています。特に「八」や「山」などは妙に縦長です。「二子山」と書く場合の「二」は他の字と高さを合わせています。
「峠」の山偏は小さいです。「山」の字は左右の線が微妙に短く、やや開いているなどの特徴があります。
また、示す方向から読む方式(左方向なら左から中心に向かって読み進む)で、「至ル」で始まっています。ちょっと古風な感じです。
カナは漢字の半分の大きさで下半分に置かれています。
全体的に道路標識の文字のように、一部簡略化してちょっと見の読みやすさを優先させたような字体です。
木板は示す方向を鋭くカットし、小さな矢印が添えられています。一番下の道標の右の矢印(志賀坂峠、二子山方向)は、ここから右へ少し下ってから進むことまで表現されています。親切です。
上の昭和50年当時の写真の真ん中にある道標は一方向(赤岩岳赤岩峠方向)のみを指示しているため、逆方向の端は縦に切り落とされています。(その後ろにある道標は鉄板製のもので、埼玉国体のときに小鹿野山岳会が立てたものと思われる当時としては新しいものです)
これらの道標は白いペンキを塗ってその上に黒で字が書かれていたようです。今では白いペンキはすっかり禿げ落ち、黒い字のみが残っています。字が黒で書かれていたのが幸いと思いますが、作者はそこまで考えたのでしょうか。
では、余計な部分を取り除き、判読開始です。
角度を調整し切り抜いた
至 ル 叶 山 山 子 二 テ 経 ヲ 峠 尾 魚 ル 至
「至ル叶山.山子二テ経ヲ峠尾魚ル至」と判読しました。
左方向: 叶山に至る
右方向: 魚尾峠を経て二子山に至る
この朽ちた道標は、地図上のP1090の隣のピーク上にあったものです。(地図参照)そのピークは志賀坂峠から登ってくると、叶山方面と魚尾峠・二子山方面との分岐に当たります。佐藤 節さんはここをジャンクションピークと呼んでいます。このジャンクションピーク上で魚尾峠・二子山方面は直角とは言わないまでも大きく右に曲がります。一方、左が叶山方面へ下る尾根です。二子山を目指す登山者は、志賀坂峠から登ってくると直進するものと思いながらもやや左の叶山方向へと誘導されやすかったと考えられます。このためここに道標を掛けたものと思われます。おそらく、志賀坂峠や昔あった志賀坂ロッジから登ってくる登山者の正面になるように掛けられていたのでしょう。
最初、二子山方面<->志賀坂峠方面を示す道標との思い込みと、板の中央で左と右方向が分かれるとの先入観があり、なかなか読めませんでしたが、視点を変えて二子山と叶山を示す道標と考えた瞬間に読めました。おそらく志賀坂峠やロッジを示す道標は他に有ったものと推測します。
いくつか気になる点は、
二子山の「子」の字体がちょっと違うかなという点。
経ての「経」がかなり簡略化されているものと判断。
経ての「テ」がカナにもかかわらず大きい(漢字の半分のはず)。
など。ちょっと疑問があります。
他の読み方があればご指摘いただければ幸いです。
蛇足ですが、
なぜ左右から読み進める方式にしたのでしょうか。おそらく、加工して白ペンキを塗った木板をたくさん作っておき、それに掛ける場所に応じた地名を黒ペンキで書き込んだのでしょう。左右両方から書き進めば、長短さまざまな地名に対応できます。今回のように右側が極端に長く、左が短い場合でも、問題なく読ませることができます。したがって、板の中央が真ん中にくるとは限りません。左読み、右読みを臨機応変に使ったうまい方法と言えます。
なぜ「至ル」を最初にもってきたかについては、「二子山に至る」と書くより、「至る二子山」と書けば一文字少なくできるからと考えます。小さな面積の木板ですから字数は常に問題です。少なくしたいのはよくわかります。縦に細い字体を使ったのも少ない面積になるべく多くの地名を入れたいからではなかったでしょうか。
(熊五郎)
コメント(3)
- 右から左へでしょうか。難しいですね。 2016/11/10(木) 午後 9:57
- この道標は明治時代に作られたものではなく、昭和3,40年ころと思われます。右側を右から読ませているのは時代のせいではありません。道標はなにげなく見ていますが、先人のちょっとした知恵を感じます。(熊五郎) 2016/11/10(木) 午後 11:07
- ナルホド納得です。 2016/11/10(木) 午後 11:33