信仰の気配を感じる山

投稿日 2010年01月11日

南アルプス 地蔵岳 賽の河原の地蔵に朝日が当たる

南アルプス 地蔵岳のオベリスクの尾根が、主稜線につながるところに、

黄色い砂のザレ地がある。

そこは賽の河原と呼ばれ、小さな地蔵が並んでいる。

賽の河原とは、三途の川の河原で、

亡くなった幼子は、父母の供養のために、そこで石を積むが、

じきに鬼に崩されるという。積めるまで三途の川は渡れない。

私の想像だが、ここは幼子の供養の場所。

すぐ傍に立つオベリスクは、自然にできた巨大な石積みに見立てたか。

これは、さすがの鬼も崩せまい。

そんな場所に地蔵を奉納したのは、無事に渡れるようにとの親心であろうか。

そういえば、最後に子供を救済するのは地蔵菩薩。

私はオベリスクには数回訪れたが、

この日は、不用意にも賽の河原でひとりで野営した。

今、考えればぞっとする。

その夜は何事もなかったが、知らぬが仏とはこのことだ。

甲府の夜景がきれいだったことは覚えている。

日本の山は、信仰の気配で満ち溢れている。

(オベリスクは地蔵菩薩だという説もあるか)

(熊五郎)​

 

コメント(5)

  • ひとつ積んでは父のため、ふたつ積んでは母のため…。陰陰滅滅たるつぶやきが聞こえてきます。どうしても地獄へも極楽へも行けない子供たち。ひどく切なく哀しく恐ろしいところだという印象があります。 2010/1/11(月) 午後 8:09
  • agewisdomさん、山で野仏や小さな社があると思わず手を合わせます。何かを信仰しているわけではありませんが、山に登っていると、なぜか自然な行為と思えます。何でもスポーツ化されてしまう昨今、登山だけは信仰の雰囲気を感じながら、ゆっくり楽しみたいものです。(熊五郎) 2010/1/11(月) 午後 8:34
  • 熊五郎さん、オベリスクは地蔵菩薩のことという説。私はオベリスクとは海外の山の名かと思っていました。山の頂にも賽の河原があるのですね。「一重積んでは父のため、二重積んでは母のため、兄弟わが子に回向して 昼は一人で遊べども、日も暮れあいのその頃に 地獄の鬼ども表れて…」延々と続くご詠歌を思いだしますが…。 [ らくがき楽ちん ] 2010/1/21(木) 午前 10:05
  • 外国の山もそうかも知れませんが、日本の山はほとんどが信仰に関係しているようです。いたるところに祠や石仏などがあります。山頂が麓の神社の奥宮だということは多いです。このため登山道は参道であり、神聖な道とも言えます。道の傍らの信仰のしるしを見ては、昔の人の行き来を想像して登っています。オベリスクは昔ウェストン氏あたりがそう呼んだのかも知れませんが、山名ではなく石塔をそう呼んでいるだけです。国土地理院等の地図にはオベリスクとは記載されていません。俗称といったところでしょうか。(熊五郎) 2010/1/21(木) 午後 6:12
  • なるほど熊五郎さんの説明にはいつも納得させられますね。私の幼稚な愚もん難問悪しからず。 [ らくがき楽ちん ] 2010/1/21(木) 午後 11:15

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