最初に出逢った女性 神話と美女のロマンス
投稿日 2018年06月12日
里山に登るに当たって重宝するのは神社や寺である。登りたい山の山懐にはほとんど例外なく神社や寺がある。全国数ではコンビニよりも多い神社や寺。確かにコンビニは少し田畑が広がっているような田舎に行くと姿を消すが、神社や寺は、この先人家があるの?というようなところにも在る。
地図をよくみるとわかるが、日本人の信仰心の強さというか、神仏を大事にする精神というものが、かくも均等に、全国あまねく社寺を配置させている。
ところで重宝とは、その神社や寺にはほとんどの場合小さな駐車スペースがあるが、里山登山のおりは、それを利用させていただくのである。家で地図を詳細に眺めて、神社や寺と登りたい山の位置関係、さらには駐車スペースらしきものがあるかどうかを、ネットの情報やグーグル・アース、ストリート・ビューなどで、できるかぎり確認しておく。
ある日、いつものように神社を見定めて出かけた。群馬県桐生の山里は、どこにでもあるかも知れないが、川に沿って両側が山で囲まれた地形。各集落には氏神様や寺が点在する。到着した神社には車数台分の駐車スペースがあって、そこに停めさせていただくことにした。ほとんどの場合無人だから、ひとこと断ってから置かせておらうこともできないが。人がいたら神社の歴史などを伺いたいのだが。
その神社には大クスの木があって、見上げれば大きく張り出した枝葉が今にも覆いかぶさらんばかりに茂っている。とりあえず、鳥居をくぐり、今にも目から殺人ビームが出て黒こげにされるのではないかと思うくらい眼光鋭い狛犬の前を通り、賽銭を投げいれて、この日の安全や、家族親戚のことをお祈りする。
拝み終わってふと社の斜め奥を見ると、暗い斜面になにやら石祠がある。何だろうと思って近づいてみた。そこには石祠が二基あって手前に「拷機千々姫命」とある。
お姫様かぁ。と思わず手を合わせた。なんとかハタチジヒメということは、機織の女神かな?というくらいのことしか思い浮かばない。いずれにせよ、私はこう考えた。「このお姫様に何かご縁があるならば、きっと今回の登山中に逢ってくれるはず。だから、登山中に最初に出会った女性をこのお姫様と思うことにしよう」と。そう心に秘めて、神社の横から続く道を登り始めた。
例によってあまり人に出くわさないような山であるが、一部分一般道も使用する。登り始めて2時間くらい経っていただろうか。稜線上の一般道に出て歩いていると、前方から一人の女性が降りてきた。服装から一目で女性とわかった。
女性は前方にたまたまあったベンチで立ち止まり、おもむろに座った。どうやらそこで休むらしい。私は神社で心に秘めたことを思い出した。顔を見ると40から50代くらいであろうか。今風の身支度で、カラフルな部分もあるが、全体的にはシックな色合いでキメている。私は、「こんにちは」程度で通り過ぎる予定だった。
「あら、こんにちは」
「こんなところで人に出会うとは思っていなかったわ」
「ちょっとここで休んで行きませんか」
登山中に声を掛けられて、しかも一緒に休みましょうというのは異例中の異例だ。ましてや、相手は女性である。まぁ、私はどちらかというと童顔で、人から話しかけられやすい。町でも、人に道を聞かれたり。講演などで前に座っていると、講師の方が私の顔を見ながら話をしたりと、話しかけやすい雰囲気があるのだろう。
「麓の神社から登っていらしたの?」
ドキッとして、「そうです」
「道が悪いからたいへんでしたでしょう」
「それほどでも」 一般道じゃないのになぜ知ってる?
「よかったら食べませんか」
出してくれたのはお稲荷さん(稲荷寿司)だった。アゲがうまく煮込んでありとてもおいしかった。
私には益々、この女性が拷機千々姫ではないかと思えてきた。その後、誰にも会うことはなく、その女性から受けた親切だけを胸に、すがすがしい気持ちで下山することができた。
はたして、あの女性は拷機千々姫だったのだろうか。
後で調べてみたら、「拷機千々姫命」はタクハタチヂヒメノミコトと読むらしい。日本書記にも出てくる女神で、詳しいことは別の情報にゆずるが、清らかな機織の乙女となっていた。また安産、子宝の神でもあるらしい。
(熊五郎)
コメント(2)
- 拷機千々姫(多分タクハタチヂヒメ)って機織りの神様だったかしら。なんか素敵ですね。 (agewisdom) 2018/6/12(火) 午後 3:59
- > agewisdomさん 日本の神話も勉強してみると面白そうですね。(熊五郎) 2018/6/12(火) 午後 6:18