彼女の思いは 八ヶ岳のロマンス
当時のギボシからの赤岳 手前は旭岳
私はその頃神戸に住んでいた。
それまでの東京勤務から大阪に転勤を命じられ、神戸から通うことにしたのだった。
素直に大阪の実家に戻らなかったのは、その頃まだ姉が嫁ぐ前で、部屋を占有されていたからだった.... というのは親への口実だが、実は神戸に住んでみたかったのだ。
安アパートは神戸でも高い場所、六甲山の山懐にあった。
六甲の登山口まで歩いて行けるくらい高いところだ。
御影(みかげ)駅からバスがうなりを上げて登って行くと、耳がツンとなった。
アパートの窓からは百万ドルの夜景が広がっていた。
ある日、ひとかかえくらいのダンボール箱がふたつ届いた。
沖縄からだった。
東京に居た頃、付き合っていた彼女が沖縄に帰ってしまった。
私はそれきりと思っていたので、びっくりした。
数日後、何の連絡もなく彼女はやってきた。
住所を頼りに、はるばる沖縄から。
かくして同棲生活は始まった.... いや計3日泊まっただけだが。
東京に居て登り残した八ヶ岳に登りたいというのだ。
ダンボール箱の中身は登山用具や衣類だったのだ。
我々は稲子湯からシラビソ小屋、天狗岳、硫黄岳、横岳、赤岳、権現岳、小淵沢と、いわゆる八ヶ岳南部を縦走した。
テント2泊の山旅だった。
今でも忘れられない八ヶ岳縦走になった。
彼女は私より2才年上だった。
東京の本社に居た頃、私より少し遅れてタイムカードを押す彼女の姿が目にとまり、やがて一緒に山に登るようになった。
もし彼女と一緒になったら、沖縄でぶっ倒れるまで、泡盛を飲まされるんではないかと、心配していた私をよそ目に、彼女は突然沖縄帰りを決めた。
いろいろ思い巡らすことがあったのだろう。
私が幼すぎたのだと思う。
あの八ヶ岳行きは彼女にとって何だったんだろうと今も考える。
私を気持ちを感じ取れない冷たい男と思ったに違いない。
いまでも連絡がついたら、あの頃のことを謝りたい。
せめてこのブログを彼女に捧げて。
......
ふたりは仲が良かった
きみはいつも、わたしの前ではしゃいで見せた
ドングリが転がってると言って、
リスが木の幹をくるくる走ったと言って
いつもそんなきみの横顔を見ていた
涙が光っていたことに気付かずに
不思議な巡り合わせ
遠くから来たふたりは、ここで偶然に出逢った
遊園地にもよく出かけたよね
夕暮れの海岸をふたりで歩いたりもね
いつも君の手を握って離さなかった
いつもうつむいているきみに気付かずに
そのときはやってきた
突然のことで、どうしていいか分からなかった
セーターの似合うきみを探した
以前の待ち合わせ場所で待ってもみた
やがてわたしに届いた遠くからの手紙
楽しかったことがつづられているだけだった
再会の日はやってきた
なぜきみがここにやってきたのかわからないまま
登りたいと言うから山に行った
見たいと言うから海にも出かけた
なにも気付かないまま時間が過ぎていった
そしてなにもないまま、再会はあっけなく終わった
もう間に合わないけど、幼かった私を許してほしい
久しぶりに、ショパン ピアノ協奏曲第一番 第二楽章(ロマンス)でも聴いてみるか。
(熊五郎)
コメント(2)
- わかりあっているようで、わからない。そんなものかも。 (agewisdom) 2017/12/7(木) 午後 9:00
- > agewisdomさん 山しか見えてなかったようです。(熊五郎) 2017/12/9(土) 午前 10:22