私を慰めてくれた歌 極寒のロマンス
弘法小屋尾根の野営ポイントからの北岳
若い頃の正月は、毎年雪の上が恒例であった。
28日ごろに山に入り、4日ごろに降りてくるのである。
その年の正月休み。私は南アルプスに居た。
アプローチを一日かけて歩いてやっと麓に辿りつける。
麓で野営し、翌朝尾根に取りついても、更にもう一回尾根上で寝なければならない。
南アルプス間ノ岳(あいのだけ)に直接登る長大な弘法小屋尾根(こうぼうごやおね)は、そんな冬山のためのルートだ。
31日 大みそかの夜、我々ふたりは標高2800mを越える野営ポイントに居た。
間ノ岳の稜線にもうすぐ手が届きそうだ。
そこは樹林から抜け出して、森林限界に飛び出した小ピーク。
ここしか安全にテントを張れる場所が無いのだ。
その夜はシンシンと雪が降った。
夜中に何度も起きだして、テントの周りの雪を取り除かなければテントが潰れてしまう。
テントの中は正にフリーザー。
吐いた息は即座に凍り、テントの内面に貼りついて、キラキラ輝やいている。
今夜も寒くて眠れそうにない。
いや、眠ったら、そのまま。
そんな気持ちになってくる。
横で友が寝息を立てているが、ほんとうに寝ているのだろうか。
寝付けないままに、ラジオをつけた。紅白歌合戦をやっている。
下ではみんな炬燵に入って観戦しているのだろう。
いろいろなことが頭の中をめぐる。
今頃、母は何をしているのだろう。おせち作りの真っ最中か。黙って出てきたことが申し訳なく思えてきた。
明日、雪崩は大丈夫だろうか....
とっくに、紅白も、ゆく年くる年も終わった。
そのとき、ウトウトしていた私の耳に、深いフェージングとともに倍賞千恵子が歌う「さくら貝の歌」が流れてきた。
うるわしき、さくら貝ひとつ
去りゆける君にささげん
この貝は去年(こぞ)の浜辺に
われひとり 拾いし貝よ
ほのぼのと うす紅染むるは
わが燃ゆる さみし血潮よ
はろばろと かよう香りは
君恋うる 胸のさざなみ
ああ なれど わが思いははかなく
うつし世の なぎさに果てぬ
....
倍賞千恵子の透き通った歌声は、ほとんど消えたかと思うと、波の高まりのように割れるほどスピーカーを鳴らす。
遠い放送局の電波が、電離層で反射して、大きなうねりのように届いているのだ。
それが、また、いやおうなしに、高所に居ることを証明しているのだった。
.......
ひさしぶりに倍賞千恵子の声が聴きたくなった。
(熊五郎)
コメント(2)
- この歌大好きです、そして、なぜか若くして亡くなった叔母が歌っていた、浜辺の歌につながり、暖かかった叔母の膝の上の温もりに繋がります。 (agewisdom) 2017/11/25(土) 午後 3:20
- > agewisdomさん 曲と場面の繋がりは、けっこう記憶に残るようです。若い頃はしっかりいろいろな曲を聴いて、音楽のある生活をした方がいいですよね。私はクラシックのある曲を聴くと初恋の頃を思い出します。(熊五郎) 2017/11/25(土) 午後 4:08