うるんだ瞳 名峰が見ていたロマンス

投稿日 2017年11月23日

飛島からの鳥海山 朝焼けのシルエット

若い頃、私は東北の名峰に登った。

切手にもデザインされているその名峰の姿は、日本海のある島から眺めたもので、以前から気になっていた。

ある年の10月中旬、紅葉のすばらしいその名峰に登った後、私は山姿のまま港のフェリー乗り場に向かった。

海は大きくうねり、船に慣れない私は、同乗の人たちと話すこともできずに青ざめていた。近づく島の小さな港にはウミネコが舞っていた。

民宿に入り、重いカメラとともに荷を降ろして夕飯を待った。

さまざまな漁具があった。漁師の家だが、民宿もやっているようだ。

夕飯に案内されたのは、なんとその家の居間。そこに入っていいのか一瞬躊躇した。

大きな仏壇があった。広いが炬燵を中心に様々なものが置かれていた。

客は私ひとり。おばあちゃん、ご主人、奥さん、娘さん。ご家族とともにひとときを楽しんだ。

娘さんは中学生だったろう。そこでは終始うつむいて、話すことはなかったが、後で、山姿なのになぜここに?という顔で「この時季にお客さんは珍しいわ」と言い、私に東京のことをいろいろ聞くのだった。

私には珍しいという意味がわからなかった。

翌朝、まだ布団の中だった私に、急いで外に出るように奥さんが叫んでいる。こんな日はめずらしいというのだ。

私はカメラを持って急いで外に出た。

そこには私の見たかった名峰があった。

帰りの船の時間になった。フェリー乗り場の人が、「この時季は3日に1回は欠航するんだよ。きょうは船が出せるのでよかった」という。海が荒れることが多く欠航はあたりまえらしいのだ。娘さんの言ったことがようやく分かった気がした。

船はなめらかに離岸した。

ほっと胸をなでおろしながらも、少しなごり惜しい気持ちで、私は離れていくウミネコの舞う港を見つめていた。

やがて私の視野に入ってきた防波堤の先端に、彼女はたたずみ、瞳をうるませていたのだった。

......

大貫妙子の「黒のクレール」でも聴いてみようか。

(熊五郎)

コメント(2)

  • 熊五郎さん 素敵なロマンティストですね。 (agewisdom) 2017/11/23(木) 午後 1:28
  • > agewisdomさん 若い頃の旅はいろんなロマンスを生みますね。(熊五郎) ​2017/11/23(木) 午後 3:00

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA