滝沢ダム(もみじ湖)ができる前と後
投稿日 2024年05月25日
先日奥秩父の雁坂峠に登ろうというので、熊谷から国道140号を甲府方面に向けて走った。車は三峰から大滝、滝沢ダム、もみじ湖、川又(栃本)、雁坂トンネルへと進む。この国道140号は昔の秩父往還にほぼ沿って作られているそうだが、その秩父往還の道は栃本の関所から尾根筋を雁坂峠へとつけられていたようだ。雁坂峠は2000mを超えている。今では国道140号が雁坂峠の下を抜いた雁坂トンネルで山梨県の甲府方面とつながっている。その雁坂トンネルを山梨側に抜けたところから雁坂峠に登るのは、もはやたやすい。
車は秩父の三峰を過ぎて大滝に入ってゆく。大滝(埼玉県秩父市大滝)まで来ればもう深山の面持ちがある。山また山の世界だ。大滝には現在二つのダム湖が一つの尾根を境にして湖水を溜めている。一方は荒川本流 二瀬ダムの秩父湖。もうひとつは中津川 滝沢ダムのもみじ湖である。
秩父往還は二瀬ダムの横をかすめて、栃本に入り、そこから本格的に山の路となる。国道140号もそのように栃本を経由する形で通されていたが、滝沢ダムができて、がらりと変わってしまった。滝沢ダムのもみじ湖をかすめて、長いトンネルで栃本の先の川又に出るようになった。つまり両方存在するが、新しいほうはバイパス的な役割で、車は主に新しい方をとる。
雁坂峠へ向かう道すがら助手席に座っていたY氏が、「滝沢ダムで滝沢村が湖底に沈んだんかねぇ。」と、ぽつり。「うむ、そうかも知れんね。」と会話はここまで。しかし、実際にもみじ湖が見渡せる一段上に「滝ノ沢望郷広場」というのが作られている。やはり滝沢集落を湖底に沈めた、せめてものお慰みであろうか?
国土地理院25000分の1地図 昭和51年2月28日発行の「三峰」埼玉県秩父市大滝 中津川滝ノ沢周辺
国土地理院25000分の1地図 現在 埼玉県秩父市大滝 滝沢ダム もみじ湖周辺
そこで、古い地図を引っ張り出してきた。国土地理院25000分の1地図 昭和51年2月28日発行の「三峰」である。この地図にはすでに二瀬ダムの秩父湖はあるが、滝沢ダムのもみじ湖はまだ無い。これを見て、昔両神山に西側から登るために、今では湖底の中津川沿いの道を走ったことを思い出した。
この地図と現在の地図を見比べると、滝沢ダムは十々六木(とどろき、廿六木とも書く)辺りにつくられ、もみじ湖の底には滝ノ沢、浜平、塩沢の集落が沈んでいることになる。というか、どこかに移転させられたことになる。
奥秩父の旅人原全教は、「奥秩父回帰」の中で、
「中津川に入ると、北岸の山腹にはいくつも山里が見られたが、塩沢から谷間がぐっと狭まり左右に大きい岩が切り立っている。これから奥は明治まで道はなく、ただ流れを渡り返して通ったという四十八瀬の思い出話を、後に木賃宿に相部屋した旅芸人から聞いた」
と、中津川渓谷の様子を語っているが、山腹の山里とは、おそらく滝ノ沢あたりのことだろう。原全教は中津川を詰めて六助沢から神流川方面に越えている。今でもそうであるが、もみじ湖の途中から中津川に向けて車を進めると、断崖絶壁の迫る沢筋を延々走ることになる。
そのような秘境である中津川渓谷だが、本流の荒川上流部も山また山の大秘境である。そんな中を突っ切る国道140号は、滝沢ダムの前で一回転の大きなループを描き、もみじ湖の左岸(北岸)を舐めて、中津川を分け、長いトンネルで川又に抜け、滝川を遡って雁坂トンネルで山梨側に抜ける。わたしが知る限り屈指の秘境国道であろう。「滝ノ沢望郷広場」は、もみじ湖のほぼ中央、滝ノ沢集落があった辺りにある。
(雅熊)