あの人は今どこに ある夜行列車のロマンス

 投稿日 2018年8月19日

昭和54年(1979年)10月28日の夕刊

​昭和54年10月26日、22時20分大阪駅発 急行ちくま5号の車中。横に座っているのは先輩の山田氏である。同じ大阪出身とあって気の合う我々は、何回か山行を共にしたが、今回は中央アルプスに登ろうという計画だった。

列車は夜の大阪をしばらく走った。車のライトやネオン街の灯りが瞬く間に飛んでいく。松本行きのこの列車には、名古屋から中央本線の木曽や、塩尻、松本へ赴く人たちが乗っている。乗客は位置が定まって落ち着いたころには、いたるところで缶ビールをプシュッと開ける音が聞こえ、そしてその飛沫の匂いが漂ってくる。

我々も缶ビールを荷物に忍ばせてはいるが、先輩と目で合図して缶ビールを開けようとはしなかった。4人ボックス席の我々の前には女性とその娘であろう少女が座っていたからである。酔っぱらって陽気になった男の顔など見せたくないし、怖がられても困るからである。

我々は山姿。その女性と少女は旅姿。まだ5,6才であろうか、女の子はあどけない顔をして女性に寄り添っている。聞けば、松本の実家に帰省するのだそうだ。

大阪駅でちくま5号を待っている時から、その女性の親子は我々のすぐ後ろに並んでいた。実は秘かに親子が我々の側に座らないだろうかと期待していたのだったが、

まさしくその期待は現実のものとなった。というのも、その女性には何か引き付けるものがあったからだ。

家から持ってきたミカンをあげたら、そこから話がはずんだ。その女性も山に少し登るらしく、これまで何度も通った大阪と松本間に見える山々に一度は登ってみたいと思っていたそうである。しかし、結婚した彼女にはそれが叶わなかったのだろう。

我々が奈良井駅から中央アルプスに登ると話すと、大変羨ましがっていた。そして中央アルプスはどんな山かと、興味深げに聞くのだった。

列車は点々と外灯のともる闇の中を走っていた。時折、踏切のカンカンカンカンという音が通り過ぎてゆく。それとなく車窓から目を転じたら、女性はじっとこちらを向いていた。そして彼女は話し始めた。

その話では女性は松本で結ばれ、彼の仕事の関係で大阪に住んでいたのだが、ある日彼が故郷の山に登りたいというので一人で北アルプスに出かけ、遭難して帰らぬ人になったというのだ。もともと山で知り合って結ばれた彼らだったから、山のこともよくわかる。彼はよい死に方をしたとうるんだ目で、そう話すのだった。

私はそれ以上聞くこともできず、女性の膝の上でよく眠っている少女の顔をみてその彼の事を想像していた。

我々は奈良井駅で親子に別れを告げ、桂木場から将棋頭山、木曾駒ケ岳に登り、次の日に空木岳に向かった。そして昭和54年10月28日の朝、空木岳の山頂を目指していた我々は、有史以来初めて爆発し煙を吐く御岳を目撃することになった。この噴火では死者は出なかったと記憶する。

列車の中で出会った女性と少女は今頃どうしてるだろうか。二度と会えるはずもない女性と少女のことは今も心の中に潜めている。思い出とはそういうものだろうか。

村下孝蔵の「花れん」でも聴いてみるか。

(熊五郎)

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