ばっちゃに会いに 雲湧く山の向こうのロマンス
巻機山をスキー板を引きずりながら登る
下は山仲間のH君
谷川岳の山域において、他より比較的緩やかな盛り上がりを見せる蓬峠、七ッ小屋山、清水峠あたり。
JR上越線が群馬県から新潟県へと長い国境のトンネル(清水トンネル)を抜けて、最初に停車する駅が「土樽」(つちたる)だ。魚野川を前にして、いまは近くを関越自動車道が走るが、民家は視野に入らない。交通の要衝と言えど人が住まなくなった土地はさびしい。そんな閑散としたこの土樽にも、昔は人の暮らしがあったという。
30代も後半だったろうか、私は土樽駅に降り立ち、若い時から歩き慣れた道を蓬峠(よもぎとうげ)まで登り、峠から七ッ小屋山を経て、清水峠から五十里尾根を清水の集落まで下った。久しぶりにばっちゃに会えると期待して。
蓬峠から七ッ小屋山辺りは笹原である。吹きわたる風が笹のウェーブとなって、孤独な冒険者がひとり大海を筏で渡っているような感じになる。いや、さしずめ難破船の漂流者か?そんな妄想に浸れるほど、谷川岳でも本峰から離れたこの辺りは静かな山が楽しめる。
清水には夕方なんとか辿りつくことができた。
清水は、上越線の清水トンネルの名前になっているように、困難を極めたトンネル工事に多くの工夫を出した集落である。トンネルの新潟側の口は土樽にあるので、巻機山(まきはたやま)麓にあるここ清水は、トンネルとはまったく関わりが無かったかのように静かだ。
夕闇が迫るなか、見慣れた家並みの一本道を歩いた。
この集落で唯一だっただろうか、そば屋があって、その店では確か中学生くらいの女の子が、店先で小さい子を遊ばせていたのを記憶している。あの娘はどうなっただろうか。そんなことを考えながら民家の軒先を歩いた。
昔、よく泊まった民宿は建て替えられて新しくなっていた。
泊まるつもりはなかったが、昔世話になったばっちゃに一目会うために寄ってみた。
ばっちゃは、お元気だった。
「しばらくぶりです。覚えてる?」
「覚えてるよぉ。ようきたね。」
タクシーが来るので、挨拶もそこそこ立ち去ろうとする私を呼びとめて、ビールを出してくれた。新しいフローリングの床にちょこんとひざまずいたばっちゃの身体は小さかった。
その民宿には20代の頃から四季を通じてお世話になった。
昔は古い二階建ての家で、初めて来たとき、軒先に熊の毛皮が干してあったのを今でも思い出す。若奥さんの子供たちのものであろう、スキー板などが並べられていた。いつもの部屋、いつもの窓景色。天井を見ていると実家に帰ったように錯覚してしまうほどの民宿だった。
夏に泊まったとき、ばっちゃが、
「巻機山は女の神様でな、今日はすぐそこの神社がちょうど祭りなので行ってきなさい。火渡りは誰でもやらしてくれるで。」
ばっちゃがそういうので、薄暗い道を近くの高みにある神社に行ってみた。
ちょうど火渡りが行われていたので渡らせていただいた。その神社に祭られているのは巻機山で布を織る女神と聞く。
その後結婚し、家族で旅行することになり、あまり一般ウケする宿を知らない私は、その民宿に案内した。ばっちゃは子供連れで押しかけた私たちを歓迎してくれた。
ばっちゃはその後亡くなったと聞くが、まだ新築になってからの宿泊は果たせずにいる。若奥さんは私を覚えているだろうか。
......
松田聖子の「赤いスイートピー」にしよう。
(熊五郎)
コメント(2)
- 冬眠したい私は雪山なんて。とんでもない❗でもそこにもちゃんと暮らしがある。 (agewisdom) 2017/12/14(木) 午後 4:07
- agewisdomさん 今年の新潟など日本海側は積雪が多いようです。お年寄りが多くなる中で、冬越しは大きな課題ですね。清水もいまごろ雪の中でしょう。(熊五郎) 2017/12/14(木) 午後 5:19