青面金剛
投稿日 2018年03月01日
我が家の近くの寺にある青面金剛(延宝八年庚申 1680年)
こちらは恐ろしい顔で邪鬼を踏みつけている
月と日、雄鶏雌鶏、三猿等がはっきりわかる
この横に庚申塔(寛政十二年庚申)がある
群馬県桐生市広沢町大雄院の青面金剛(元禄十年丁丑 1697年)
頭上に月日、頭に頭巾を巻き、手には法輪、剣、綱、蛇を持っている
やや憤怒の相だが、三つ目でないので、比較的かわいいほう
足元には三猿
寺の境内などでときどき見かける青面金剛(しょうめんこんごう)。
厳めしい顔つきで、いろいろ怪しげなものを持ち、月と日、鶏、三猿などが彫りこまれています。
以前から不思議な石像があるなぁ、と気になっていました。ちょっと気味が悪いですから、前を通るのも勇気が要ります。
そういえば、傍らによく庚申塔を伴っているなと思い出して、ネットで庚申信仰について調べて見たところ、青面金剛刻像塔という庚申塔の一種だということがわかりました。
参考サイト:http://www.geocities.jp/mitaka_makita/kaisetu/kosin.html#k-1
庚申信仰は、60日毎に巡る庚申の夜に寝ると、身体の中の三尸(さんし)の虫が天に登って、天帝にその人の悪事を告げ、天帝はその軽重に応じてその人の寿命を決めるといいます。このため、長生きを願って庚申の夜は寝ずに明かすというもの。青面金剛はその尊像とのことです。
足元の三猿は三尸の虫をを顕わしているのでしょうか。悪事にかかわらないことの象徴でしょうか。塔によっては邪鬼を踏みつけているものもある(ひとつ目の写真)ようです。
雄雌の鶏は、申(さる)の次の日が酉(とり)であるため、早く雄鶏が鳴くようにということのようです。
見たことはありませんが、青く塗られた像や、三つ目の像もあるようです。
昔は様々な不治の病がありました。そんな時代に、少しでも健康で長生きができるようにと願うことは、日々の仕事と同じくらい、当たり前のことだったのでしょう。
庚申塔は寺の境内以外にも、山道や、街道筋、街角などで、今でも多く見かけます。文化遺産として大事にしたいものです。
「石仏を造りし人の皆おらず」
これらの石仏が彫られて300年以上が経っていrます。当時の人はむろんこの世には誰一人いません。誰かが適当に趣味で作ったようなものではなく、信仰に基づいて造られたもので、同類のものは全国に存在します。基本的には病に対する恐れであり、健康長寿を願う気持ちの表れですが、医療が発達した現在では、まったく無用のものでしょうか。人々が信仰を無くして、または忘れて、このような石仏を顧みなくなったのはそう昔のことではないでしょう。世界的に見れば、池の底の泥をかき混ぜて、魑魅魍魎を呼び覚ますようなことをしている人がいるのではないでしょうか。それらが、今の我々に重大な(広義の)病とならんことを祈るのみです。
(熊五郎)
コメント(2)
- 青面金剛上の仏様はかわいい。金剛仏子の感じですね。 (agewisdom) 2018/3/1(木) 午後 4:02
- > agewisdomさんふっくらしててかわいいようですが、表情はやはり憤ぬの相です。(熊五郎) 2018/3/1(木) 午後 4:56